

原爆投下前日に
広島県立医学専門学校として開校
広島大学医学部の前身である広島県立医学専門学校は、
原子爆弾投下前日の1945年8月5日に開校しました。
校舎と附属病院は原爆によって全壊焼失したものの、
前日のうちに、高田郡小田村(現在の安芸高田市)の
高林坊寺院に集団疎開した多くの教職員・学生は無事でした。
広島大学医学部として再出発
1948年に医学専門学校から旧制医科大学に昇格し、
広島県立医科大学として呉市に開学。
新制大学への移行による広島医科大学への改組を経て
1953年、国立に移管され広島大学医学部として再出発を果たしました。



附属病院とともに、
現在の霞キャンパスに移転
医学部は附属病院とともに、呉市から広島市の旧陸軍兵器補給廠跡
(現在の霞キャンパス)に移転しました。
薬学科を設置
1969年に薬学科(現在の薬学部)を設置。
1977年に総合薬学科に改組、
その後、薬学部の設置に伴い2006年に廃止しました。


医学資料館を開設
霞キャンパスに移転後、校舎として使用していた旧陸軍兵器補給廠の建物群のうち、11号館を改装して医学資料館を開設。
その後、附属病院棟の建替えに伴い、被爆建物でもある旧資料館の煉瓦や石材を再利用して、現在の医学資料館として1999年に新築移転しました。
国の重要文化財である身幹儀(星野木骨)や解体新書の初版本などの貴重資料を多数収蔵しています。
保健学科を設置
看護学、理学療法学、作業療法学の3専攻からなる保健学科を設置しました。
広島大学病院を開院
医学部附属病院と歯学部附属病院を統合して、広島大学病院となり、現在の入院棟を新築(地上10階/地下1階)しました。


大学病院診療棟がオープン
診療機能の中核を担う既存の外来診療棟・中央診療棟を集約・改築し、新たな診療棟(地上5階/地下1階)をオープン。
医科と歯科の外来を統合するなど、緊密な医療連携を可能にしました。「グリーンホスピタル」をコンセプトに、光庭や屋上庭園、壁面緑化など、エコロジカル建築としての側面も持ち合わせた診療棟です。

「医学部疎開之地」に記念碑を建⽴
1945年8月5日に行われた医学部の前身である広島県立医学専門学校の開校式の直後、浄土真宗高林坊にその日のうちに疎開を完了したことで、ほぼ全員が被災を免れることができました。この出来事を起点として、広島大学医学部は今日まで歩みを続けてきました。
2025年に医学部創立80周年を迎える節目に際し、高林坊へ記念碑を建立し、除幕式を行いました。